秋の鳴子峡(by 晴れ男。さん)
紅葉を見に、鳴子峡へ行ってきました。仙台から古川まで高速道路、その後、国道47号線を利用し鳴子峡へ。当日は仙台市内は快晴でしたが鳴子へ近づくにつれ、時雨模様に。時雨まじりの紅葉見学となりました。
【鳴子峡】
尿前ノ関(しとまえのせき)(※1)跡付近から中山平にいたる約四キロの峡谷で、荒尾川の支流、大谷川沿いの渓谷をいう。両岸には、猿の手掛岩(さるのてかげいわ)、虫喰岩(むしくいいわ)といったさまざまな岩石が屏風のように連なる。県の名勝に指定され、新緑、紅葉のころともによい。
(※1)
【尿前ノ関】(しとまえのせき)
出羽仙台街道の宿駅の1つである、尿前に置かれた仙台藩の番所跡である。
元禄2年(1689)、松尾芭蕉は平泉から出羽の尾花沢に出るため、曽良とともにこの関を超えた。
奥の細道を歩く。宮城・山形の旅?「山寺」・1(by ちゃおさん)
<閑さや岩にしみ入る蝉の声>
「山形領に立石寺と云山寺あり。慈覚大師の開基にして、殊清閑の地也。一見すべきよし、人々のすゝむるに依て、尾花沢よりとつて返し、其間七里ばかり也。日いまだ暮ず。麓の坊に宿かり置て、山上の堂にのぼる。岩に巌を重て山とし、松栢年旧、土石老て苔滑に、岩上の院々扉を閉て、物の音きこえず。岸をめぐり、岩を這て、仏閣を拝し、佳景寂寞として心すみ行のみおぼゆ。」
これは松尾芭蕉の「奥の細道」の中の「山寺」を訪ねた際の書き出しである。この時芭蕉は46歳(その後51歳で没)。既に祖翁とも呼ばれる俳諧の師匠であった。芭蕉がこの山寺を訪れたのは元禄2年(1689年)5月のことだから、今から320年前の昔のことであった。
が正面の石段、根本中堂、山門、仁王門、開山堂、五大堂等々は昔と変わらない。変わったことと言えば、山門を潜り抜けた先の鬱蒼とした松柏の枝の繁りのみが320年の隔たりを感じさせた位か。
今京都では各寺社への入山料が500円から1000円への値上げ論議でかまびしいが、ここ「山寺」ではまだ320円の安さで、清和天皇下賜印の「立石倉印」の半券をもらい入山する。
このお寺は実に今から1140数年前、清和源氏の祖である清和天皇の頃、時の天台座主自覚大師円仁により開山されたものであり、東北地方随一の由緒を誇っている。
栃木生まれの円仁さんはこの「山寺」以外にも松島の「瑞巌寺」、象潟の「蚶満寺」、等々、今も現存する東北地方の著名なお寺の開山、開祖として名を印しているが、若かりし頃、中国五大山で修業を積み、その時の「入唐求法巡礼行記」はマルコポーロの「東方見聞録」よりも500年近くも前に書かれた書物であり、世界最古の「旅行記」とも言われている。
後年、駐日米国大使となったライシャワー教授がまだコロンビア大学で教職にあった頃、この「入唐求法巡礼行記」の論文で博士号を取ったのは有名な話でもあった。
その円仁さんが開山した「山寺」に今日来ている。320年前、旅に慣れ親しむ芭蕉も同じ様な気持ちで、この1015段の石段を登り、開山堂に向ったに違いない。
< 山寺や 往く夏惜しむ 蝉の声 >
< 山門を 入りて松柏 蝉の声 >
【旅行時期】2008/08/29~2008/08/30
【エリア】
山形・天童・蔵王
【テーマ】
【投稿者】
ちゃお
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自治体名=尾花沢市
地方=東北地方
都道府県=山形県
支庁=
コード=06212-0
面積=372.32
境界未定=なし
人口=22,010
人口の時点=2000年10月1日
隣接自治体=東根市、村山市、大石田町、最上町、舟形町、宮城県加美町 (宮城県) 加美町
木=ケヤキ(ツキを含む)
花=ツツジ
シンボル名=他のシンボル
鳥など=
郵便番号=999-4292
尾花沢市の詳細